日本産菌類集覧
勝本 謙 著,勝本 謙・安藤 勝彦 編,日本菌学会関東支部発行,2010年,1177pp, 豪華版 16,250円, 普及版 8,400円,ISBN: 978-4-87974-624-5C3045
日本菌学会第48回大会(長崎,2004)のインベントリーに関するシンポジウムで,「日本産菌類の目録集成に向けて」という勝本先生のご講演をお聞きして以来,本書の完成を私はずっと楽しみに待っていた.本書は2007年(一部2008年)までに日本において記録された菌類(地衣類は除く)のリストである.各属ごとに種形容語がアルファベット順で配列されており,種ごとに,和名・日本産の出典・宿主(あるいは生息域)・異名情報が続く.巻末には和名・宿主索引の他,菌類高次分類群の一覧と,菌類学名の日本人著者名一覧が収められている.
先生が菌類の目録作りをされていることを初めてお聞きした際,私は「誰もその仕事をしないのだったら,僕がやろうと実は思っていました」などと先生に対して言ってしまったことがある.先生は「どうぞ,やって下さい(ニコッ)」と優しく仰った.予想をはるかに越える超大作の本書を目の前にして,馬鹿なことを口走ってしまったと私は今猛省している.
先生はこの気の遠くなるような仕事を,どうやってされてきたのだろうか.私はLeptosphaeria関連属について日本産目録の作成を試みたことがあるので,自分のリストと本書の該当部分を照らし合わせながら,あれこれ想像してみた.まず先生は原摂祐(1954)の日本菌類目録にある既知種について,日本の文献を探しながら本邦産の有無を再検討したのではないか.ところがこの作業が実は大変であり,目的とする文献が簡単には見つからなかったはずだ.前書きで述べられているように「情報収集には不便な研究上の僻地」におられた先生は,中央の大きな図書館へ何度も足を運ばれ,直接文献調査にあたられたに違いない.そうやって日本における分布が疑わしい菌(旧日本領からみつかったもの等)を除外していった.原氏のリストには誤植も多々あり,L. aceps Sacc.(本当はL. anceps Sacc.),L. junci Syd.(本当はL. junci Feltgen)などについては,それぞれ原記載にあたって再確認する必要もあったろう.Leptosphaeria(Metasphaeria)phyllostachydis Hara(1913)のように新種記載時に2属の名前が用いられていた場合には,本菌がMetasphaeriaとして1913年以降初めに使われた組合せのM. phyllostachydis(Hara)Hara(1936)を見つけ出さなければならなかったはずだ.「L. kuwa Hara, 実験作病 p.327」については,実験作物病理学(原1930)を調べてみてもLeptosphaeria sp. しかない.しかもその記載文は,以前にL. michotii として報告された記載文(原1918: 蚕糸報 27:226)と同一である.果たしてL. kuwaとは何なのか,いったいどの時点でL. kuwa の新種発表がされたのか,先生はあれこれ調べなければならなかったのではないか.このように原氏の目録には不備・誤植が多く,温厚な先生もタメ息をつかれたことが何度かあったと思う.しかしその目録の価値については,原氏同様独力でこの仕事に取り組んでこられた先生ご自身が,一番理解されていたのかも知れない.「本刷を閲覧するになお誤植があるのですが,心身共に疲れに疲れて(略),正誤表を出す元気がない」という原氏のあとがきに同感されながら本書の大変な編纂作業に取り組まれたのではないだろうか.以上の既知種の洗い出しに加え,1954年以降の追加種について,先生は様々な文献に目を通されてきた.さらには学名の変更に関して最新の情報を把握する必要があるため,国内外の文献を広く精査されたに違いない.
以上,ごちゃごちゃ書き連ねてしまったが,要するにこのような根気の要る仕事を,特定の属とか科に限らず先生は続けてこられた.得意だとか専門だとか,ご自分の好みには関係なく,全ての菌群に対して目を配ってこられた.原記載を読んでも知り得ないような基準標本の情報が,本書の端々に見られるのは,先生が国立科学博物館などで直接標本を調べられた成果の一部に違いない.50余年の長きにわたり積み重ねてこられた努力の結果が,およそ1万3千種の日本産菌類を登載した本書である.
本書の前書きには「日本菌学会内のデータベース委員会の活動によって補充と訂正が重ねられて充実した内容となるものと期待している」と記されている.本書の集成は,本来であれば日本菌学会が取り組むべき大事業であり,原摂祐や勝本謙のようなスーパー・スターの出現に頼るべきではないはずだ.先生が以前仰った「どうぞ,やって下さい(ニコッ)」は,ご冗談で私をからかった訳ではなく,菌学会会員に向けられた真剣な言葉だったように今は感じている.