たのしい自然観察 きのこ博士入門
根田 仁/著,伊沢正名/写真 全国農村教育協会 2006年4月12日発行 A5判 170頁 定価:¥1700+税 ISBN: 4881371207
サクラの花の満開に合わせたように,これはと驚くほどの画期的な本が出版された.ベニテングタケをあしらった表紙カバーの美しいデザインにも眼を引かれるが,今までに出版された数多くのきのこ図鑑には見られない新しい企画と内容には驚くばかりである.この本は,全国農村教育協会から出版された「たのしい自然観察きのこ博士入門」で,文章はきのこ分類学を専門とするうえに博物学的才能に秀でた根田仁先生が書かれ,写真は菌類の生態写真にかけては世界的な手腕を持つ伊沢正名先生の作品がふんだんに載せてある.さすがにこの両先生の才と技を合わせて創られた本だけに,斬新的な内容が豊富に盛り込まれている.この本の特徴は,きのこの名前を紹介するのが目的ではなく,自然界におけるきのこの役割を知ることに主点を置き,生態系の中の分解者としてのきのこについて,誰にでも解りやすいように工夫されている点である.
第1章は,きのこを探すと題して春夏秋冬の各季に発生するきのこや,針葉樹林・広葉樹林,公園・原っぱなどいろいろな所に発生するきのこを紹介し,これらのきのこの探し方について説明してある.ここで注目するのは,雪をかぶったガヤドリナガミツブタケの幼生写真である.このような場面に出会うことは稀で,非常に貴重な写真である.また,クリタケとムラサキシメジのすみ分け風景は,両菌の生態が如実に現れているし,洗面所から出たマツオウジもここまで生長させるにはかなりの予備知識が必要になる.第2章ではきのこはどんな生物かを,きのこの身体の構造と生育過程を生物学的に解析している.きのこの身体の各部の顕微鏡写真を鮮明に現わすことは難しいが,欲を言えば菌糸の拡大場面が欲しかった.ツクリタケの生育過程を追った6枚の場面は,眼に見えないところでのきのこの出来かたがよく現れている.そのうえ,きのこはカビの仲間であることを容易に理解することができ,得がたい資料の一つである.また,きのこの色や形,それに光を放つきのこについても述べている.なかでも,ロウタケの幼生時代とニカワツノタケの鮮明な写真は大切に残しておきたい.第3章では,きのこの生活様式,寄生・腐生・共生など栄養の取り方,生長や繁殖などのしかた,他の微生物や小動物などとのかかわり,それに進化との関係などきのこの生態に関して具体的に述べている.木材腐朽菌による褐色腐れ,白色腐れも写真で一目瞭然だし,落葉層に広く菌糸が蔓延した上からヒメツチグリの仲間が生えている写真は,腐植性きのこの特徴がよく現れている.冬虫夏草のトビシマセミタケは,寄主との繋がりがはっきり現れており,被写体が完全に現れるまでの努力の跡が伺われる.シロアリとオオシロアリタケの関係を表した写真も,セミタケと同様に努力賞である.菌根はきのこ生態の最たるものであるが,図鑑類でここまで詳しく述べたものは他にない.また,キヌガサタケの生長連続写真は,さすがに立派な出来映えである.書評子も経験があるが,これだけの写真を撮るには相当の根気が必要である.そして第4章では,きのこ博士を目指すために,採集のしかた,記録のとりかた,顕微鏡の見かた,名前の調べかた,標本の作りかた,観察ノートの作りかた,写真の写しかた,観察テーマの探しかた,などが懇切丁寧に説明してある.とくに著者直筆の手書きの観察ノートは実感がこもっていて,活字では味わえない温か味と親しみがある.この辺りにも読者に対する著者の心使いを感ずるのである.最後尾の写真の写しかたに至っては,まさに読者に対する最高の贈り物である.一流の写真家が,この類の書物の中でここまで懇切丁寧に書いた指導内容は,60年の研究歴をもつ書評子も未だかって見たことがない.いずれにしてもこの章は,この本の中で最も異色の存在である.
この本に登場するきのこは約350種である.これまでに日本からは約3,000種が報告されているが,まだまだ未研究のきのこがたくさん残っている.また,この本では食・毒については触れていない.これは,話題になったスギヒラタケの例のように,異例の症状が勃発して食・毒を決めるのが非常に困難になってきた.現在食用とされているきのこの中にも,必ずしも食と断定し得ないものがあるかもしれない.この問題は,今後の確実な実験結果を待つことになる.
以上述べたように,この本はこれからきのこを学ぼうとする初心者や,小中学生,それにきのこに関心のある一般の方々にとって,最適の手引書である.ぜひ一読をお勧めしたい.