Evolutionary Genetics of Fungi
Jianping Xu 編, Horizon Bioscience, 2005年, 350pp, 173US$, ISBN 1904933157
表題は「菌類の進化遺伝学」で,菌類の集団遺伝学または進化遺伝学に関連する総説を11組の専門家達が寄稿したものである.目次は,第1章 分子分類学:主要な菌類の系統群と菌類の種概念,第2章 中国における高等菌類の多様性と生物地理,第3章 菌類における自己,非自己認識の生物学的概念,第4章 菌類の分子集団遺伝学解析の原理,第5章 藻菌類の集団遺伝学,第6章 ヒトおよび動物病原子嚢菌の集団遺伝学,第7章 担子菌類の分子集団遺伝学,第8章 菌類におけるミトコンドリアの遺伝と進化,第9章 病原菌類における薬剤抵抗性の進化,第10章 菌類における自然突然変異の頻度と影響,第11章 情報伝達研究のためのモデルとしてのCryptococcus neoformans,索引.
本書に含まれる話題はかなり広範囲にわたるため,ここでは私が興味を持った章のみを紹介する.第1章では最近の分子系統学研究に基づいた菌類の主要な分類群について解説されている.とくに,ここ数年にわたって米国の研究者達を中心に行われてきた「Assembling the Fungal Tree of Life (AFTOL)」プロジェクトの研究成果が多く引用されており,比較的新しい情報が紹介されている.後半は,最近議論が沸騰している種概念の問題が簡単に紹介されている.形態学的種概念,生態学的種概念,生物学的種概念,系統学的種概念について紹介し,最後にそれらに関する論議を簡単に述べている.すべての生物を種という統一した概念で区分しようとする分類学と生物進化の歴史を基盤とする系統学とは基本的に異なるものであり,種概念に関する論争はこれからも続いていくであろう.結局,どこで妥協点をみつけていくかの問題なのではないだろうかと感じた.菌類の分子系統解析については,すでに多くの知見が集積されており,この課題だけでも一冊の本にあまりある内容となる.その点で,本章の内容が表面的な紹介のみに終始したのは不満が残るが,紙面の制約上致し方ないか.
第2章では中国における高等菌類フロラの豊富さとその要因が述べられている.進化遺伝学という本書のテーマとは関連の薄い内容ではあるが,比較的興味深く読んだ.私が専門とするうどんこ病菌という植物寄生菌でも中国では種類が豊富で,特に第三紀の生き残りと思われる古い菌が多いのが特徴である.本書を読んで,それがうどんこ病菌だけでなく他の多くの高等菌類でも同様であることを知った.当然のことながら,中国は日本に隣接した国であり,中国の菌類相に関する知見はわが国の菌類相の成立要因を知るうえでも重要である.
第4章から第7章にかけては,本書の中心テーマである集団遺伝学に関する話題が述べられているが,詳細は割愛したい.第8章では菌類におけるミトコンドリアの遺伝様式が述べられている.動物ではオスとメスとが個体別に分かれており,ミトコンドリアは基本的に母系遺伝であるためオス個体のミトコンドリアは子孫には引き継がれない.植物でもミトコンドリアは基本的に母系遺伝ではあるが,1個体がオスとメスの両方を持っているため,個体自体のミトコンドリアは子孫に引き継がれる.それに対して菌類のミトコンドリアの遺伝様式は種々なものがあり,片親から遺伝するものもあれば双方の親から遺伝するものもある.近年,菌類でもミトコンドリア遺伝子を分子系統解析に用いることが多くなりつつあるが,自分の扱っている菌類のミトコンドリアの遺伝様式を知っておくことは重要であると考えられる.
本書はかなり広い範囲の内容を含んでおり,スペースの制約上,個々の内容について深く突っ込んだ議論はなされていない.その分,総説であるという性格上,引用文献は充実している.これ以上の議論を楽しみたい人は個々の文献を読めということであろう.繰り返しになるが,本書は引用文献が充実しているので,これからこの分野を始めたいという研究者あるいはこの分野に興味のある研究者が,最近の研究の動向を知るためには適した書物であるといえよう.とくに,集団遺伝学に関して多くの紙面が割かれているので,それらを志す研究者にお勧めである.私自身は分子系統学を専門にしているが,分子系統学に関する記事は第1章のみであるので,今後,菌類の分子系統学に関する書物の出版を期待したい.最後に,本書は日本円で1冊2万円ほどする高価な本なので,個人では手を出しにくいかもしれない.