菌学関係書籍の書評(評者 升屋 勇人)1
An illustrated guide to the coprophilous Ascomycetes of Australia (CBS biodiversity series No. 3)
Ann Bell, CBS, 55ユーロ, 172pp, ISBN: 90-70351-580
1983 年に出版された Ann Bell の「Dung fungi, an illustrated guide to coprophilous fungi in New Zealand」は糞生菌の入門書としては名著であるといえる.接合菌類,子嚢菌類,担子菌類を網羅し,直筆のイラストを駆使したカラフルな色彩で我々を糞生菌の世界へと誘う.一方,本書はオーストラリア産の糞生子嚢菌に絞った書籍であり,前書に比べると若干カラフルさに欠ける.また,内容的には前書と同じ流れを汲み,いくつかイラストの使いまわしもある.それでもチャワンタケ類などの色彩は鮮やかで,直筆のカラフルな糞生菌イラストは健在である.オーストラリア産糞生子嚢菌に限定しているため,若干の物足りなさを感じるかもしれないが,絵が多いため糞生菌の入門書としては初心者には有難く,前書と並んで糞生菌に関する重要な書籍であるといえる.また,分類学的な取り扱いが難しい種類や混乱している属が若干含まれているが,その背景や変遷についても記している点は,モノグラフとしても質の高いものになっている.さらには10種類の新種記載が含まれており,糞生子嚢菌の分類学的な文献としても重要な位置づけにあるといえる.
そもそも本書の内容は,オーストラリア人菌学者である故 Harry Dade が退官後に収集したスライド標本(Dade collection)が元となっており,実際のスライド番号も記されていることから,保存標本を比較する際に非常に実用性の高いものとなっている.スライド標本を整理して残しておく重要性を改めて認識させられる.
糞生菌に関する書籍として重要なものは Bell の2冊の他にも多く存在する.比較的新しいものでは,Doveri (2004)のFungi fimicoli italiciが挙げられる.糞生菌関連書籍の中で最もボリューム,内容とも充実した書籍であり,糞生菌研究には必須のモノグラフである.この書籍は Bell の書籍とともに糞生菌の研究発展に大きく寄与するものと思われる.興味深いことに Bell および Doveri はともに職業的研究者ではない.Bell は教師,Doveri は医師であり,在野の研究者として糞生菌に関する研究を行い,結果的に優れた書籍を執筆したといえる.むしろ在野の研究者だからこそ,糞生菌を極めることができたのかもしれない.直接,経済的に重要とは言いがたい糞生菌の研究は,研究費獲得に奔走せざるを得ない大学や公的研究機関に在籍する研究者にとっては,よほど重要な機能が糞生菌で認められない限りは集中的に取り組むのが若干難しい.菌類学に対していかに在野の研究者が貢献できるかを示す事例の一つであろう.
過去いくつかの重要な菌類生態学的知見は糞生菌から得られており,菌類の生態学を考える上で非常に重要な研究分野の一つであると考えられる.その一方,実際に現在,糞生菌の研究を行なっている研究者,学生の数を考えると非常に寂しい気分になる.まだ十分に解明されていない事柄も非常に多く存在するにも関わらず,現在進行形で糞生菌を研究対象にしている研究者は世界的に見ても少ない.このような状況が改善できるかどうかは別としても,Ann Bell の本書は糞生子嚢菌の書として良書であると同時に,糞生子嚢菌の分類学的モノグラフとしても重要であるということには間違いない.本書をきっかけとして糞生菌の世界に足を踏み入れてみてはいかがだろうか.
(評者 升屋 勇人)